徒然草

徒然草 第二百十四段

現代語訳

 想夫恋(そうふれんという楽曲は、女が男に恋い焦がれるという意味ではない。元は「相府蓮(そうふれん」という。つまり当て字である。晋の王倹が大臣だった時、家に蓮を植えて愛でながら、鼻歌交じりに歌った曲なのである。以後、中国の大臣は「府蓮」と呼ばれるようになった。

 「廻忽(かいこつ」という楽曲も、本来は「廻鶻(かいこつ」だった。廻鶻国という、強力な蛮族の国があった。その国の人が、中国に征服された後に、ふるさとの音楽として演奏していたのだ。

原文

 想夫恋(さうぶれんといふ(がくは、女、(をとこ(ふる(ゆゑの名にはあらず、(もと相府蓮(さうふれん、文字の(かよへるなり。(しん王倹(わうけん、大臣として、家に(はちすを植ゑて愛せし時の(がくなり。これより、大臣を蓮府(れんぷといふ。

 廻忽(くわいこつ廻鶻(くわいこつなり。廻鶻国とて、(えびすのこはき国あり。その夷、漢に(ふくして(のちに、(きたりて、己れが国の(がくを奏せしなり。

注釈

 想夫恋(さうぶれん

  雅楽の曲名。琵琶で演奏される楽曲、あるいは舞曲。

 (しんの王倹

  南斉の人物。宋の明帝に仕えた。(晋は、兼好法師の誤り)

 廻忽(くわいこつ

  唐楽の曲名。

 廻鶻(くわいこつ

  トルコ系の部族で、ウイグル。

 (えびす

  未開の外国部族。

徒然草 第二百十三段

現代語訳

 天皇の御前に火を入れる時は、種火を火箸で挟んではならない。素焼きの器から、直接移すのである。その際、炭が転がらないように、用心のため炭俵を積んでおく。

 天皇が石清水八幡宮を参拝した時に、お供が白い礼服を着て、いつものように手で炭を注いでいた。それを見た物知りの者が、「白装束の日は、火箸を使っても問題ない」と言った。

原文

 御前(ごぜん火炉(くわろに火を置く時は、火箸(ひばしして挟む事なし。土器(かはらけより直ちに移すべし。されば、転び落ちぬやうに心得て、炭を積むべきなり。

 八幡(やはた御幸(ごかうに、供奉(ぐふの人、浄衣(じやうえを着て、手にて炭をさゝれければ、(ある有職(いうそくの人、「白き物を着たる日は、火箸(ひばしを用ゐる、苦しからず」と申されけり。

注釈

 八幡(やはた御幸(ごかう

  天皇の、石清水八幡宮への参拝。

 浄衣(じやうえ

  神社参拝をする際の礼服。

 有職(いうそく

  公家の儀式等の知識と、それに詳しい者。

徒然草 第二百十二段

現代語訳

 秋の月は、信じられないほど美しい。いつでも月は同じ物が浮かんでいると思って、区別をしない人は、何を考えているのだろうか。

原文

 秋の月は、(かぎりなくめでたきものなり。いつとても月はかくこそあれとて、思ひ(かざらん人は、無下(むげに心うかるべき事なり。

徒然草 第二百十一段

現代語訳

 何事も期待してはならない。愚か者は他力本願だから、恨んだり怒ったりするのだ。権力者だからと言って、頼ってはならない。血の気が多い人が、最初に没落するのだ。金持ちだからと言って、お願いしてはならない。時間が経てば貧乏になる。才能があるからと言って、期待してはならない。孔子だって、生まれた時代が悪かった。人格者だからと言って、あてにしてはならない。顔回(がんかいも、不遇の人生だった。君主に可愛がられても、安心してはならない。怒らせれば、その場で闇に葬られるから。家来がいても、安堵してはならない。裏切って逃げることがよくある。人の優しさを、真に受けてはならない。必ず心変わりする。約束も、信じてはならない。守られることは希である。

 自分にも他人にも期待しないことだ。ラッキーな時は、ただ喜び、失敗しても、人を恨まずに済む。心を左右に広く持てば動じず、前後に奥行きを持てば行き詰まることもない。狭い心は衝突ばかりして、傷つきやすい。少ない気配りしか出来ない人は、何事にも反抗的で、争って自爆する。穏やかな心でいれば、身の毛、一本も損なわない。

 人間は現世を彷徨う妖精だ。世界はブラックホールのように留まることを知らない。人の心も、また同じである。穏やかな気持ちを解放していれば、一喜一憂することなく、人に苦しめられることもないのだ。

原文

 (よろづの事は(たのむべからず。(おろかなる人は、深く物を(たの(ゆゑに、恨み、怒る事あり。勢ひありとて、頼むべからず。こはき者先づ滅ぶ。(たから多しとて、頼むべからず。時の(に失ひ易し。(ざえありとて、頼むべからず。孔子も時に遇はず。徳ありとて、頼むべからず。顔回(がんくわいも不幸なりき。君の(ちようをも頼むべからず。(ちゆうを受くる事(すみやかなり。(やつこ従へりとて、頼むべからず。背き走る事あり。人の志をも頼むべからず。必ず変ず。約をも頼むべからず。信ある事少し。

 身をも人をも頼まざれば、(なる時は喜び、非なる時は恨みず。左右(さう広ければ、(さはらず、前後遠ければ、(ふさがらず。(せばき時は拉げ砕く。心を用ゐる事少しきにして厳しき時は、物に(さかひ、争ひて破る。緩くして柔かなる時は、一毛(いちまうも損せず。

 人は天地の霊なり。天地は(かぎる所なし。人の(しやう、何ぞ(ことならん。寛大にして(きはまらざる時は、喜怒これに(さはらずして、物のために(わづらはず。

注釈

 孔子

  春秋時代の中国の思想家。

 顔回(がんくわい

  講師の一番弟子。孔門十哲の一人。

徒然草 第二百十段

現代語訳

 「カッコウは、春の鳥だ」と言うけれど、どんな鳥か詳しく書いてある本はない。ある真言宗の書物に、カッコウが鳴く夜に幽体離脱を逃れる方法が記されている。この鳥はトラツグミのことだ。万葉の長歌には、「霞が立つ春の夜長に」とあって、続けてトラツグミが歌われている。カッコウとトラツグミは似ているのだろう。

原文

 「喚子鳥(よぶこどりは春のものなり」とばかり言ひて、如何(いかなる鳥ともさだかに(しるせる物なし。(ある真言書(しんごんしよの中に、喚子鳥鳴く時、招魂(せうこんの法をば行ふ次第あり。これは(ぬえなり。万葉集の長歌(ながうたに、「霞立つ、長き春日(はるひの」など続けたり。鵺鳥も喚子鳥のことざまに(かよいて聞ゆ。

注釈

 喚子鳥(よぶこどり

  かっこう。『古今集』春上に、「をちこちのたづきも知らぬ山中におぼつかなくも喚子鳥かな」とある。

 真言書(しんごんしよ

  真言宗における、密教の行法が書かれている書物。

 招魂の法

  幽体離脱から逃れる方法。

 (ぬえ

  ぬえ。トラツグミ。夜に寂しい声で泣くので、不吉な鳥とされていた。

 万葉集の長歌(ながうた

  『万葉集』に「霞立つ、長き春日の、、暮れにける わづきも知らず、むらぎもの、心を痛み、ぬえこ鳥 うら泣きをれば ……」とあるのを指す。

徒然草 第二百九段

現代語訳

 他人の田んぼの所有権を求めて訴えていた人が、裁判に負けた。悔しさ余って、「その田を収穫前に全部刈り取れ」と、召使いに命令した。召使いは、手当たり次第、通り道にある田を刈りながら進むので、「ここは、訴訟で負けた田では無いのに、どうして、こんなに無茶をするのだ」と、問われた。田を刈る召使いは、「起訴して負けた田であっても、刈り取って良いという理由はありませんが、どうせ悪事を働きに来たのだから、手当たり次第、刈り取るのです」と言った。

 その屁理屈も一理ある。

原文

 人の田を論ずる者、(うたへに負けて、ねたさに、「その田を(りて取れ」とて、人を遣しけるに、先づ、道すがらの田をさへ(りもて行くを、「これは論じ給ふ所にあらず。いかにかくは」と言ひければ、(る者ども、「その所とても(るべき(ことわりなけれども、僻事(ひがごとせんとて罷る者なれば、いづくをか(らざらん」とぞ言ひける。

 (ことわり、いとをかしかりけり。

徒然草 第二百八段

現代語訳

 お経など、巻物の紐を結ぶのに、上と下からタスキのように交差させて二本の間から紐の先を横に引き出すのは、よくやる方法である。そう巻いてある巻物を、華厳院の弘舜僧正は巻き直させた。「最近流行の嫌な巻き方だ。ぐるぐる巻きにして、上から下へ紐の先を挟んでおけばよい」と、おっしゃる。

 年寄りで、こんな事をよく知っている人だった。

原文

 経文(きやうもんなどの(ひも(ふに、上下(かみしもよりたすきに交へて、二(すぢの中よりわなの(かしら横様(よこさまに引き(だす事は、常の事なり。さやうにしたるをば、華厳院(けごんゐんの弘舜僧正(こうしゆんそうじやう(きて(なほさせけり。「これは、この比様の事なり。いとにくし。うるはしくは、たゞ、くるくると巻きて、(かみより(しもへ、わなの(さきを挟むべし」と申されけり。

 古き人にて、かやうの事知れる人になん(はべりける。

注釈

 華厳院(けごんゐんの

  仁和寺の院家の一つ。

 弘舜僧正(こうしゆんそうじやう

  東寺の長者で、「第八十二段第八十四段」の、弘融僧都の師。

徒然草 第二百七段

現代語訳

 後嵯峨上皇が亀山御所を建築する際の話である。基礎工事に着手すると、数え切れないほどの大蛇が塚の上でとぐろを巻いていた。「ここの主でしょう」と、現場監督が報告すれば、上皇は「どうしたものか」と、役人達に尋ねるのだった。人々は「昔からここに陣取っていた蛇なので、むやみに掘り出して捨てるわけにもいかない」と、口を揃えて言い合う。この、実基大臣だけは、「皇帝の領地に巣くう爬虫類が、皇帝の住居を建てると言って、どうして悪さをするものか。蛇の道と邪の道は違うのだ。何も心配する必要は無い。掘り起こして捨てなさい」と言った。その通り、塚を壊して蛇は大井河に流した。

 当然、祟りなど無かった。

原文

 亀山殿(かめやまどの(てられんとて地を引かれけるに、大きなる(くちなは、数も知らず(り集りたる塚ありけり。「この所の神なり」と言ひて、事の由を申しければ、「いかゞあるべき」と勅問ありけるに、「古くよりこの地を(めたる物ならば、さうなく(り捨てられ難し」と皆人(みなびと申されけるに、この大臣(おとど、一人、「王土にをらん虫、皇居を建てられんに、何の祟りをかなすべき。鬼神(きじんはよこしまなし。咎むべからず。たゞ、皆掘り捨つべし」と申されたりければ、塚を崩して、(くちなはをば大井河に流してンげり。

 さらに祟りなかりけり。

注釈

 亀山殿(かめやまどの

  後嵯峨上皇が嵯峨に増築した仙洞御所のこと。

 この大臣(おとど

  前段の徳大寺実基。

 大井河

  桂川が嵐山の庵を流れるときの名称。

徒然草 第二百六段

現代語訳

 藤原公孝が警視庁官だった時の話である。「ああでもない。こうでもない」と話し合い、決議を取っていると、ノンキャリア官僚、中原章兼の車を牽く牛が逃げ出した。牛は役所の中に入り、公孝が座る台座によじ登り、口をモゴモゴさせながらひっくり返った。その場に居た官僚どもは、「とても不吉である。牛を占い師に見せてお祓いしなさい」と言った。それを聞いた、公孝の父君である大臣の実基が、「牛には善悪の区別がない。脚があるのだから、どこにでも登るだろう。貧乏公務員が通勤に使う痩せ牛を取り上げても仕方がない」と言って、持ち主の章兼に引き渡した。牛がいた場所の畳を張り替えて終わりにしたが、取り立てて縁起の悪いことも無かった。

 「不吉なことがあっても、気にしなければ、凶事は成り立たない」と古い本に書いてある。

原文

 徳大寺故大臣殿(とくだいじのうだいじんどの検非違使(けんびゐし別当(べつたうの時、中門(ちゆもんにて使庁の評定(ひやうぢやう行はれける程に、官人章兼(くわにんあきかねが牛放れて、庁の内へ入りて、大理(だいりの座の浜床(はまゆかの上に登りて、にれうちかみて(したりけり。重き怪異(けいなりとて、牛を陰陽師(おんやうじの許へ遣すべきよし、各々申しけるを、父の相国(しようこく聞き給ひて、「牛に分別(ふんべつなし。足あれば、いづくへか登らざらん。わう(じやくの官人、たまたま出仕の微牛(びぎうを取らるべきやうなし」とて、牛をば(ぬしに返して、臥したりける畳をば換へられにけり。あへて凶事なかりけるとなん。

 「(あやしみを見て(あやしまざる時は、(あやしみかへりて破る」と言へり。

注釈

 徳大寺故大臣殿(とくだいじのうだいじんどの

  藤原公孝。「徳大寺太政大臣」として第二十三段に登場。

 検非違使(けんびゐし別当(べつたう

  検非違使庁の長官。「別当」は長官の意。

 官人章兼(くわにんあきかね

  「官人」は、初位以上、六位以下の官位。「章兼」は、中原章兼。少尉。

 大理(だいり

  「別当」と同じく、検非違使庁の長官の意。

 浜床(はまゆか

  帳台の下に置く台で、檜の白木で造る。

 陰陽師(おんやうじ

  陰陽寮に属した占筮及び地相などを司った。占い師。

 父の相国(しようこく

  徳大寺実基。検非違使別当から太政大臣。

徒然草 第二百五段

現代語訳

 比叡山の「大師最澄との誓約」というのは、良源僧正が書き始めたものである。「誓約書」は法律では取り扱わないものである。昔、聖徳太子の時代には、全て「誓約書」に基づいて行う政治はなかった。近年になり、宗教臭い政治が蔓延するようになった。

 また、憲法では火や水にたいしては穢れを認めていない。容器に穢れがあるからだ。

原文

 比叡山(ひえのやまに、大師勧請(たいしくわんじやう起請(きしやうといふ事は、慈恵僧正(じゑそうじやう書き始め給ひけるなり。起請文(きしやうもんといふ事、法曹(はふさうにはその沙汰(さたなし。(いにしへ聖代(せいだい、すべて、起請文につきて行はるゝ(まつりごとはなきを、近代、この事流布(るふしたるなり。

 また、法令(ほふりやうには、水火(すいくわ(けがれを立てず。入物(いれものには(けがれあるべし。

注釈

 比叡山(ひえのやま

  比叡山延暦寺のこと。

 大師勧請(たいしくわんじやう起請(きしやう

  「大師」は比叡山延暦寺の開祖、伝教大師最澄。「勧請」は、大師の霊威を迎えること。「起請」とは、神仏と誓約し、もしその誓約を破れば罰を受けることを覚悟している旨を記した文章。

 慈恵僧正(じゑそうじやう

  良源僧正。十二歳で比叡山に入山し、顕密二教の奥義を究める。五十五歳で第十八代の天台宗座主となり、叡山中興の祖と呼ばれた。