徒然草

徒然草 第八十三段

現代語訳

 竹林入道、西園寺公衡は、最高長官へと出世するのに、何の問題も無くトントン拍子で進んだのだが「長官になっても、何ら変わったことも無いだろうから大臣で止めておこう」と言って出家した。洞院左大臣、藤原実泰も、これに感動して長官出世の望みを持たなかった。

 「頂上に登りつめた龍は、ジェットコースターの如く急降下するしかあるまい。後は悔いだけが残る」と言う。太陽は黄昏に向かい、満月は欠け、旬の物は腐るのみ。森羅万象、先が見えている物事は破綻が近い証拠である。

原文

 竹林院入道(ちくりんゐんのにふだう左大臣殿、太政大臣(だいじやうだいじん(あがり給はんに、何の滞りかおはせんなれども、珍しげなし。一上(いちのかみにて(みなん」とて、出家し給ひにけり。洞院(とうゐんの左大臣殿、この事を甘心(かんじんし給ひて、相国(しやうこくの望みおはせざりけり。

 「亢竜(こうりうよう(くいあり」とかやいふこと(はべるなり。月満ちては(け、物盛りにしては衰ふ。(よろづの事、(さき(まりたるは、破れに近き道なり。

注釈

 竹林院入道(ちくりんゐんのにふだう左大臣殿

  西園寺公衡(きんひら。左大臣になり三ヶ月で辞退した。竹林院と号する。法名、静勝(じょうしょう

 太政大臣(だいじやうだいじん

  左大臣の別名。大政官僚の任務を統括する。

 洞院(とうゐんの左大臣殿

  藤原実泰。左大臣になり、一年で辞任する。

 相国(しやうこく

  太政大臣を唐制で呼んだ名前。

 亢竜(こうりうよう(くい

  登りつめた竜は下るしか無い。そこには悔いしかない。「亢竜、悔有リ」と『易経』にある。

 月満ちては(け、物盛りにしては衰ふ

  「語ニ曰ク。日中スレバ則チ移リ、月満ツレバ則チ虧ケ、物盛ンナレバ則チ衰フ。天地ノ常数ナリ」と『史記』にある。

徒然草 第八十二段

現代語訳

 「薄い表紙の巻物は、すぐに壊れるから困る」と誰かが言った際に、頓阿が、「巻物は上下がボロボロになって軸の飾りが落ちると風格が出る」と言ったのが立派で、思わず見上げてしまった。また、全集や図鑑などが同じ体裁でないのは、「みっともない事だ」と、よく言われるが、弘融僧都が「何でも全部の物を揃えるのはアホのすることだ。揃っていない方が慎み深い」と言ったのには感動を覚えた。

 「何事も完璧に仕上げるのは、かえって良くない。手を付けていない部分を有りの儘にしておく方が、面白く、可能性も見出せる。皇居の改築の際も必ず造り残しをする」と誰かも言っていた。昔の偉人が執筆した文献にも文章が脱落した部分が結構ある。

原文

 「(うすものの表紙は、(とくく損ずるがわびしき」と人の言ひしに、頓阿(とんあが、「(うすもの上下(かみしもはづれ、螺鈿(らでん(ぢくは貝落ちて後こそ、いみじけれ」と申し侍りしこそ、心まさりして覚えしか。一部とある草子などの、同じやうにもあらぬを見にくしと言へど、弘融僧都(こうゆうそうづが、「物を必ず一具(いちぐ調(ととのへんとするは、つたなき者のする事なり。不具なるこそよけれ」と言ひしも、いみじく(おぼえしなり。

 「すべて、何も皆、事のとゝのほりたるは、あしき事なり。し残したるをさて打ち置きたるは、面白く、((ぶるわざなり。内裏(だいり造らるゝにも、必ず、作り(てぬ所を残す事なり」と、或人申し侍りしなり。先賢の作れる内外(ないげの文にも、章段(しやうだん(けたる事のみこそ侍れ。

注釈

 (うすものの表紙

  巻物を巻き終わった際に表になる部分に薄い布を張った表紙。

 頓阿(とんあ

  俗名、二階堂貞宗という。遁世者で兼好法師の友人であった。歌人。

 螺鈿(らでん(ぢく

  貝の裏側を削って、巻物の軸の両方に填めて飾った軸。

 草子

  巻物と異なり、紙を重ねて綴じた本。

 弘融僧都(こうゆうそうづ

  仁和寺の僧侶。弘舜僧正の弟子。

 内外(ないげ

  仏教の世界から見ると、仏書を内典、儒教の書を外典と呼ぶ。

 章段(しやうだん

  文章の大きなまとまりや段落 。

徒然草 第八十一段

現代語訳

 屏風や襖などに、下手くそな絵や文字が書いてあると、みっともないと言うよりも、持ち主の品格が疑われる。

 大体の事において、持ち物から持ち主の品性が察せられる場合が多い。常識を逸した高級品を持っていれば良いという話ではない。壊れないように、無骨に作って変形していたり、変わっているからと余計な部品を付けて、かえって使いづらくなっていたり、コテコテなのを喜んだりするのが良くないのだ。よく使い込んであって、わざとらしくなく、適正価格で作ってあり、その物が自体が良い物であればいい。

原文

 屏風(びやうぶ障子(しやうじなどの、絵も文字もかたくななる筆様して(きたるが、見にくきよりも、宿の(あるじのつたなく(おぼゆるなり。

 大方(おほかた(てる調度にても、心(おとりせらるゝ事はありぬべし。さのみよき物を持つべしとにもあらず。損ぜざらんためとて、(しななく、見にくきさまにしなし、珍しからんとて、用なきことどもし(へ、わづらはしく(このみなせるをいふなり。(ふるめかしきやうにて、いたくことことしからず、(つひえもなくて、物がらのよきがよきなり。

注釈

 障子(しやうじ

  襖や衝立、現代の障子など、部屋を仕切る衝立の類。

徒然草 第八十段

現代語訳

 誰にでも、自分とは縁が無さそうな分野に首を突っ込みたくなる傾向があるようだ。坊主が屯田兵まがいの事をしたり、弓の引き方も知らない武士が、さも仏の道に通じているような顔をして連歌や音楽を嗜む。そんな事は、怠けている自分の本業よりも、より一層バカにされるだろう。

 宗教家に限ったことではない。政治家や公家、上流階級の者まで、取り憑かれたように戦闘的な人が多い。しかし、例え百戦錬磨であっても、その勇気を称える人はいないだろう。なぜなら、ラッキーな事が重なって敵をバタバタと薙ぎ倒している最中は、勇者という言葉さえ出てこない。武器を使い果たし、矢が尽きても、最後まで降参することなく、気持ちよく死んだ後に、初めて勇者の称号が与えられるからだ。生きている人間は、戦闘力を誇ってはならない。戦闘とは、人間のやるべき事ではなく、イーグルやライオンがやる事である。武術の後継者以外、好き好んで特訓しても意味がない。

原文

 人ごとに、我が身にうとき事をのみぞ(このめる。法師は、(つはものの道を(て、(えびすは、弓ひく(すべ知らず、仏法(ぶつぽふ知りたる気色(きそくし、連歌(れんがし、管絃(くわんげん(たしな(へり。されど、おろかなる(おのれれが道よりは、なほ、人に思ひ(あなづられぬべし。

 法師のみにもあらず、上達部(かんだちめ殿上人(てんじやうびと(かみざままで、おしなべて、武を(このむ人多かり。百度(ももたび戦ひて百度(ももたび勝つとも、未だ、武勇(ぶようの名を定め難し。その(ゆゑは、運に乗じて敵を(くだく時、勇者にあらずといふ人なし。(つはもの(き、矢(きはまりて、つひに敵に(くだらず、死をやすくして後、初めて名を顕はすべき道なり。(けらんほどは、武に(ほこるべからず。人倫(じんりんに遠く、禽獣(きんじうに近き振舞(ふるまひ、その家にあらずは、好みて益なきことなり。

注釈

 (つはもの

  武道、武術のこと。

 (えびす

  関東の武士のこと。

 連歌(れんが

  短歌の五七五と七七の句を交互に作っていく遊び。

 上達部(かんだちめ

  三位以上、参議以上の公卿のこと。

 殿上人(てんじやうびと

  清涼殿、殿上の間に上ることを許された四位、五位の蔵人。

 (かみざま

  下ざまの反意語。上流階級のこと。

 百度(ももたび戦ひて百度(ももたび勝つとも

  戦う度に、全勝しても。「其ノ故ニ、百戦・百勝スルハ、善ノ善ナルモノニ非ルナリ。戦ハズシテ、人ノ兵ヲ屈スルハ、善ノ善ナルモノナリ」と『孫子』にある。

 (つはもの(き、矢(きはまりて

  武器が尽きて、矢が尽きても。「兵尽キ、矢窮リテ、人、尺鉄無キモ、猶、(また徒首奮呼(としゆふんこシ、争ヒテ先登ヲ為ス」と『文選』にある。

 人倫(じんりん

  人類、人間のこと。

徒然草 第七十九段

現代語訳

 何事に関しても素人のふりをしていれば良い。知識人であれば、自分の専門だからと言って得意げな顔で語り出すことはない。中途半端な田舎者に限って、全ての方面において、何でもかんでも知ったかぶりをする。聞けば、こちらが恥ずかしくなるような話しぶりだが、彼等は自分の事を「偉い」と思っているから、余計にたちが悪い。

 自分が詳しい分野の事は、用心して語らず、相手から何か質問されるまでは黙っているに越したことはない。

原文

 何事も(りたゝぬさましたるぞよき。よき人は、知りたる事とて、さのみ知り顔にやは言ふ。片田舎(かたゐなかよりさし出でたる人こそ、(よろづの道に心(たるよしのさしいらへはすれ。されば、世に(づかしきかたもあれど、自らもいみじと思へる気色、かたくななり。

 よくわきまへたる道には、必ず口重(くちおもく、(はぬ限りは(はぬこそ、いみじけれ。

注釈

 片田舎(かたゐなか

  京都郊外の田舎のことを指す。

徒然草 第七十八段

現代語訳

 流行の最先端を追いかけ、珍しい物の宣伝をし、有り難がるのも、また嫌なこった。流行が廃れるまで知らない方が格好良い。

 不慣れな人がいる際に、現場の人間には馴染みの作業や物の名前を、知っている者同士が通称で呼び、目配せをして笑い合い、その意味がわからない者を不安な気持ちにさせるのは、世の中の仕組みが分かっていないバカタレがやりそうなことである。

原文

 今様(いまやうの事どもの珍しきを、言ひ広め、もてなすこそ、またうけられね。世にこと古りたるまで知らぬ人は、心にくし。

 いまさらの人などのある時、こゝもとに言ひつけたることぐさ、(ものの名など、心(たるどち、片端言ひ(かはし、目見合はせ、笑ひなどして、心知らぬ人に心(ず思はする事、世(れず、よからぬ人の必ずある事なり。

注釈

 今様(いまやう

  今時の。現代風なこと。

徒然草 第七十七段

現代語訳

 世間で当時の人のブームになった事を話題にしたり、知らなくても良いような分際にも関わらず岡目八目に内情を熟知していて、人に喋り散らしたり質問攻めにしたりするのは、頭に来る。特に田舎の坊さんに至っては、世間のゴシップに詳しく、自分の身辺の様に調査して、「なんで、何でお前がそんなことを知っているのだ」と軽蔑されるぐらいの勢いで暴露するようだ。

原文

 世の中に、その(ころ、人のもてあつかひぐさに言ひ合へる事、いろふべきにはあらぬ人の、よく案内(あない知りて、人にも語り聞かせ、問ひ聞きたるこそ、うけられね。ことに、片ほとりなる(ひじり法師(ほふしなどぞ、世の人の上は、我が(ごとく(たづね聞き、いかでかばかりは知りけんと覚ゆるまで、言ひ散らすめる。

注釈

 もてあつかひぐさ

  噂になったこと。評判になった話題。

徒然草 第七十六段

現代語訳

 社会的に偉い事になっていて、時代の波にも乗っている人のお屋敷に、葬式とか祝い事があり、大勢の人が出入りしている中に聖職者であるはずの宗教家が、玄関のインターフォンを押しているのはやりすぎだと思う。

 どんな理由があるにしても、宗教家は孤独であるべきだ。

原文

 世の(おぼえ花やかなるあたりに、(なげきも喜びもありて、人多く行きとぶらふ中に、(ひじり法師(ほふし(まじじりて、言ひ(れ、たゝずみたるこそ、さらずともと見ゆれ。

 さるべき(ゆゑありとも、法師は人にうとくてありなん。

注釈

 (ひじり法師(ほふし

  厳しい戒律を守って生活している隠遁人。世捨て人。

徒然草 第七十五段

現代語訳

 暇で放心している事に耐えられない人は、何を考えているのだろうか? 誰にも邪魔されないで、一人で変な事をしているのが一番いいのだ。

 浮き世に洗脳されると心は下界の汚れでベタベタになり、すぐ迷う。他人と関われば、会話は機嫌を伺うようになり、自分の意志も折れ曲がる。人と戯れ合えば、物の奪い合いを始め、恨み、糠喜びするだけだ。すると、常に情緒不安定になり、被害妄想が膨らみ、損得勘定だけしか出来なくなる。正に迷っている上に酔っぱらっているようなものである。泥酔して堕落し路上で夢を見ているようでもある。忙しそうに走り回るわりには、ボケッとして、大切なことは忘れてしまう。人間とは皆この程度の存在である。

 「仏になりたい」と思わなくても、逐電して静かな場所に籠もり、世の中に関わらず放心していれば、仮寝の宿とは言っても、希望はある。「生き様に悩んだり、人からどう見られているか気にしたり、手に職を付ける為に己を研鑽したり、教典を読み込んで論じる事など、面倒だから全て辞めてしまえ」と中国に伝わる『摩訶止観』に書いてある。

原文

 つれづれわぶる人は、いかなる心ならん。まぎるゝ(かたなく、たゞひとりあるのみこそよけれ。

 世に(したがへば、心、(ほか(ちり(うばはれて(まどひ易く、人に(まじれば、言葉、よその聞きに(したがひて、さながら、心にあらず。人に(たはぶれ、物に(あらそひ、一度(ひとだびは恨み、一度は喜ぶ。その事、(さだまれる事なし。分別(ふんべつみだりに起りて、得失止む時なし。(まどひの上に(へり。(ひの(うちに夢をなす。走りて(いそがはしく、ほれて(わすれたる事、人皆かくの如し。

 未だ、まことの道を知らずとも、縁を離れて身を(しづかにし、事にあづからずして心を安くせんこそ、しばらく楽しぶとも言ひつべけれ。「生活(しやうくわつ人事(にんじ・伎能・学問等の諸縁を(めよ」とこそ。摩訶止観(まかしくわんにも(はべれ。

注釈

 得失

  利害や損得のこと。

 摩訶止観(まかしくわん

  中国天台宗の仏論書。天台宗の開祖、智顗が修道の要点を説明したものを、弟子の章安灌頂が書き起こして十巻に編集した。

徒然草 第七十四段

現代語訳

 蟻のように群れをなし、西へ、東へ猛スピード、南へ、北へ超特急。社会的身分の高い人もいる。貧乏人もいる。老人もいる。小僧もいる。出勤する場所があって、帰る家もある。夜に眠くなり、朝に目覚める。この人達は何をしているのだろうか。節操もなく長生きを欲しがり、利益は高利回りだ。もう止まらない。

 養生しながら「何かいいことないか」と、呟きながら果報を待つ。とどの詰まりは、ただ老いぼれて死ぬだけだ。老いぼれて死ぬ瞬間は、あっという間で、思いの刹那が留まる事もない。老いぼれて死ぬのを待っている間に何か楽しい事でもあるのだろうか? 迷える子羊は老いぼれて死ぬのを恐がらない。名前を売る為に忙しく金儲けに溺れて、命の終点が近い事を知らないのだ。それでいてバカだから死ぬのを悲しむ。この世は何も変わらないと勘違いし、運命の大河に流されているのを感じていないからだ。

原文

 (あり(ごとくに集まりて、東西に(いそぎ、南北に(わしる人、高きあり、(いやしきあり。老いたるあり、若きあり。行く所あり、帰る家あり。(ゆふべ(ねて、(あしたに起く。いとなむ所何事ぞや。(しやう(むさぼり、利を(もとめて、(む時なし。

 身を養ひて、何事をか待つ。(する(ところ、たゞ、(おいと死とにあり。その(きたる事(すみやかにして、念々の間に(とどまらず。これを待つ間、何の楽しびかあらん。(まどへる者は、これを恐れず。名利(みやうり(おぼれて、先途(せんどの近き事を(かへりみねばなり。(おろかなる人は、また、これを悲しぶ。常住(じやうじゆうならんことを思ひて、変化(へんげ(ことわりを知らねばなり。

注釈

 常住(じやうじゆう

  常に同じ状態で有り続けること。

 変化(へんげ

  上記の「常住」の反意語。全てが絶えることなく変化し続けること。