現代語訳
変態をムチで打つ時には、拷問道具に緊縛する。ムチの打ち方は今でも伝えられているが、拷問道具の形状や緊縛の作法について、今は知る人もいない。
原文
犯人 を笞 にて打つ時は、拷器 に寄せて結 ひ附くるなり。拷器の様 も、寄する作法 も、今は、わきまへ知れる人なしとぞ。
変態をムチで打つ時には、拷問道具に緊縛する。ムチの打ち方は今でも伝えられているが、拷問道具の形状や緊縛の作法について、今は知る人もいない。
犯人 を笞 にて打つ時は、拷器 に寄せて結 ひ附くるなり。拷器の様 も、寄する作法 も、今は、わきまへ知れる人なしとぞ。
朝廷から法によって裁かれる罪人の門に、矢を入れる靫を取り付ける習わしも、今ではなくなり、知る人もいない。天皇が病気の際や、世間に疫病が蔓延した際にも、五条天神に靫をかける。鞍馬寺の境内にある靫の明神も、靫をかける神である。判決の執行係が背負う靫を罪人の家にかけると、立ち入り禁止になる。この風習がなくなり、今では門に封をするようになった。
勅勘 の所に靫 懸 くる作法、今は絶えて、知れる人なし。主上 の御悩 、大方 、世中の騒がしき時は、五条の天神 に靫 を懸けらる。鞍馬 に靫 の明神 といふも、靫 懸 けられたりける神なり。看督長 の負ひたる靫 をその家に懸けられぬれば、人出 で入 らず。この事絶えて後、今の世には、封 を著くることになりにけり。
伊勢の皇大神宮のこと朝廷より咎められること。天皇のご機嫌を損ない法律で罰せられること。朝廷に出入り禁止になること。
矢を入れて背負う道具。
五条の
京都市下京区天神前町にある疫病を治める神。
京都市左京区鞍馬本町にある鞍馬寺。
鞍馬寺の境内にある鞍馬町の氏神で、五条の天神と同様に
検非違使庁の下級官僚で、在任の逮捕や牢獄の監視、強制執行の任務に当たった。
十月は「神の居ない月」と呼び、祭事を慎まなければならない、と書いてある文献はない。参考になる文章も見つからない。もしかしたら、十月はどの神社にも祭事がないので、こう呼ばれるのだろうか。
この月には、神々が伊勢の皇大神宮に集まるという説もあるが、それも根拠がない。事実ならば、伊勢では特別な祭でもありそうだが、それもない。十月は天皇が神社に出かけることが多くなる。しかし、ほとんどは不幸がらみである。
十月 を神無月 と言ひて、神事 に憚 るべきよしは、記 したる物なし。本文 も見えず。但 し、当月 、諸社の祭 なき故 に、この名あるか。
この月、万 の神達 、太神宮 に集り給ふなど言ふ説あれども、その本説 なし。さる事ならば、伊勢には殊 に祭月 とすべきに、その例もなし。十月、諸社の行幸 、その例も多 し。但 し、多 くは不吉の例なり。
伊勢の皇大神宮のこと。
インドの霊鷲山には「関係者以外立ち入り禁止」と「車両乗り入れ禁止」の標識があった。山の外側に「車両乗り入れ禁止」の標識がある。山の内側に入ると「関係者以外立ち入り禁止」の標識が立っているので一般人は入山できない。
退凡 ・下乗 の卒都婆 、外 なるは下乗、内 なるは退凡なり。
インドの霊鷲山にあった二つの標識。霊鷲山は釈迦が説法をした遺跡。
釈迦の誕生した涅槃の地に建てた塔。
呉竹は葉が細く、河竹は葉が広い。帝の御座所の池にあるのが河竹で、宴会場に寄せて植えられたのが呉竹である。
呉竹 は葉細く、河竹 は葉広し。御溝 に近きは河竹、仁寿殿 の方に寄りて植ゑられたるは呉竹 なり。
中国から渡来したので「唐竹」とも言う。別名を「ハチク」という。
女竹、なよたけ、にがたけ。
御溝水の略で、宮中の庭園を流れる溝。ここでは、清涼殿の前にある溝。
清涼殿の西にある建物で、宴会、角力、御遊が開催される場所。
横川で修行した
横川 の行宣法印 が申し侍 りしは、「唐土 は呂 の国なり。律 の音 なし。和国 は、単律 の国にて、呂 の音なし」と申しき。
比叡山延暦寺の三塔の一つ。真実の道を求める僧侶が隠遁して修業した。
伝未詳。法印は僧位。
呂旋法。雅楽で使われる音階の一つ。対的音程関係はソ・ラ・シ・ド・レ・ミ・ファとなる。
律旋法。相対的音程関係はレ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ドとなる。
名誉会長に限らず、名誉顧問なんていう役職もある。どうでもよいことだ。
揚名介 に限らず、揚名目 といふものあり。政事 要略 にあり。
名誉だけを目的とする官職。国務を司ることもない。
地方における名誉官職。
惟宗允亮の監修による平安時代の法律制度に関する書。
各地の寺の僧だけでなく、宮中の下級女官まで定員がある。これは『延喜式』に書いてあることだ。「定額」とは、定員が決まっている役人の肩書きである。
諸寺の僧のみにもあらず、
定額 の女孺 といふ事、延喜式 に見えたり。すべて、数定 まりたる公人 の通号 にこそ。
一定の定員数の意味で、平安時代以降、寺院に住む物で朝廷から生活保護を受ける定員を限った僧を定額僧と呼ぶ。女孺は宮中に仕える下級の女官。
朝廷の行事、官僚の作法、役所の事務規定を記した文献。
東大寺の御輿が、東寺に新設した八幡宮から奈良に戻されることになった。八幡宮を氏神とする源氏の公家が御輿の警護に駆けつけた。キャラバンの隊長は、かの内大臣、久我通基公である。出発にあたって、警備の者が野次馬を追い払うと、太政大臣の源定実が、「宮の御前で、人を追っ払うのはいかがなものでしょうか」と咎めた。通基は、「セキュリティポリスの振る舞いは、私たち武家の者が心得ているのでございます」とだけ答えた。
その後、通基は、「あの太政大臣は、『北山抄』に記された作法だけ読んで、『西宮記』に書いてある作法を知らないようだ。八幡宮の手下である鬼神の災いを恐れ、神社の前では、必ず人払いをしなくてはならない」と言った。
東大寺の
神輿 、東寺 の若宮より帰座 の時、源氏の公卿 参 られけるに、この殿 、大将にて先を追はれけるを、土御門相国 、「社頭にて、警蹕 いかゞ侍 るべからん」と申されければ、「随身 の振舞 は、兵杖 の家が知る事に候」とばかり答へ給ひけり。
さて、後に仰せられけるは、「この相国、北山抄 を見て、西宮 の説をこそ知られざりけれ。眷属 の悪鬼 ・悪神 を恐るゝ故 に、神社にて、殊 に先を追ふべき理 あり」とぞ仰 せられける。
東大寺の
奈良にある大仏を本尊とする、華厳宗の総本山。「御輿」は東大寺の鎮守神の神霊を安置する御輿。
京都市下京区九条町にある古義真言宗東寺派の大本山。「若宮」は本宮から分霊した新しい神社。
この
前段の久我通基。
源定実。相国は太政大臣。
藤原公任が監修した、朝廷での公事、儀式の故実書。「神社ノ行幸、大嘗会ノ御禊ニ准ズ。但シ、社頭ニ至リテ、警蹕セズ。猶、憚リ有ル可キカ」とある。
醍醐天皇の皇子、源高明が書いた、『西宮記』。『北山抄』と同じく、朝廷での公事、儀式の故実書。現存本には、社頭での警蹕について記述が残っていない。
ある人が久我の畦道を真っ直ぐ歩いていると、下着姿に袴という出で立ちのオッサンが、木製の地蔵を田んぼの水に浸して、せっせと洗っていた。何事かと思い見ていると、貴族の身なりをした男が二三人やって来た。「こんな所にいたのですか」と言い、この人を引っ張って行った。この人とは、なんと久我の内大臣、通基公であらせられた。
意識がこちら側にあった頃は、優しい立派な人だった。
或 人、久我縄手 を通りけるに、小袖 に大口 着たる人、木造りの地蔵を田の中の水におし浸して、ねんごろに洗ひけり。心得難く見るほどに、狩衣 の男二三人 出 で来 て、「こゝにおはしましけり」とて、この人を具 して去にけり。久我内大臣殿 にてぞおはしける。
尋常 におはしましける時は、神妙 に、やんごとなき人にておはしけり。
久我畷。京都市伏見区にある、約八キロメートルの直線道路。
大袖(礼服)の下に着る袖の小さい下着。大口は大口の袴。
貴族の普段着。丸襟で袖が広い。
源通基。内大臣。