徒然草

徒然草 第百五十三段

現代語訳

 京極為兼が逮捕され、兵隊に取り囲まれながら豚箱に連行された。日野資朝が、羨望の眼差しで見つめながら、「ああ、とても羨ましい。この世に生まれた想い出に、私もあんな目に遭ってみたい」と呟いたそうだ。

原文

 為兼大納言入道(ためかねのだいなごんにふだう((られて、武士どもうち囲みて、六波羅(ろくはら(て行きければ、資朝卿(すけとものきやう、一条わたりにてこれを見て、「あな(うらやまし。世にあらん思い(、かくこそあらまほしけれ」とぞ言はれける。

注釈

 為兼大納言入道(ためかねのだいなごんにふだう

  京極為兼。定家の子孫にあたる歌人。二度にわたって島流しにされる。

 六波羅(ろくはら

  六波羅探題。京都の守護、近畿地方の政治、軍事を総括した役所。

 資朝卿(すけとものきやう

  百五十二段に登場した日野資朝。後に夢が叶う。

徒然草 第百五十二段

現代語訳

 西大寺の静然上人は腰が曲がり眉も真っ白だった。何とも尊いオーラを発散させながら宮中にやって来たので、西園寺実衡内大臣は、「何という尊さだ」と羨望の眼差しを向けた。これを見た日野資朝卿が、「ただ老人でヨボヨボなだけです」と言った。

 何日か経って、資朝は毛が抜けてヨレヨレになり、醜く年取った犬を連れてきて、「大変尊い姿でございます」と、内大臣にプレゼントした。

原文

 西大寺(さいだいじ静然(じようねん上人(しようにん、腰(かがまり、(まゆ白く、まことに徳たけたる有様にて、内裏(だいりへ参られたりけるを、西園寺(さいをんじの内大臣殿、「あな尊の気色(けしきや」とて、信仰(しんがう気色(きそくありければ、資朝卿(すけとものきやう、これを見て、「年の寄りたるに候ふ」と申されけり。

 後日(ごにちに、(むく犬のあさましく老いさらぼひて、毛剥げたるを曳かせて、「この気色(けしき(たふとく見えて候ふ」とて、内府(だいふ(まゐらせられたりけるとぞ。

注釈

 西大寺(さいだいじ

  奈良市西大寺町にある現在の真言律宗の本山。

 静然(じようねん上人(しようにん

  復元された西大寺、四番目の長老。

 西園寺(さいをんじの内大臣殿

  第八十三段の「竹林院入道左大臣殿」の息子で、西園寺実衡(さいおんじさねひら

 資朝卿(すけとものきやう

  日野資朝。中納言となり、後醍醐天皇の鎌倉幕府追討のクーデター計画が知れて佐渡島に流された。元弘の乱の勃発により配所で斬られる。

徒然草 第百五十一段

現代語訳

 ある人が言っていた。「五十歳になっても熟練しなかった芸など捨ててしまえ」と。その年になれば、頑張って練習する未来もない。老人のすることなので、誰も笑えない。大衆に交わっているのも、デリカシーが無くみっともない。ヨボヨボになったら、何もかも終了して、放心状態で空を見つめているに限る。見た目にも老人ぽくて理想的だ。世俗にまみれて一生を終わるのは、三流の人間がやることである。どうしても知りたい欲求に駆られたら、人に師事し、質問し、だいだいの概要を理解して、疑問点がわかった程度でやめておくのが丁度よい。本当は、はじめから何も知ろうとしないのが一番だ。

原文

 (ある人の云はく、年五十になるまで上手に至らざらん芸をば捨つべきなり。(はげみ習ふべき行末(ゆくすゑもなし。老人の事をば、人もえ(わらはず。衆に(まじりたるも、あいなく、見ぐるし。大方、万のしわざは(めて、(いとまあるこそ、めやすく、あらまほしけれ。世俗の事に(たづさはりて生涯を暮すは、下愚(かぐの人なり。ゆかしく(おぼえん事は、学び訊くとも、その趣を知りなば、おぼつかなからずして(むべし。もとより、望むことなくして(まんは、第一の事なり。

徒然草 第百五十段

現代語訳

 これから芸を身につけようとする人が、「下手くそなうちは、人に見られたら恥だ。人知れず猛特訓して上達してから芸を披露するのが格好良い」などと、よく勘違いしがちだ。こんな事を言う人が芸を身につけた例しは何一つとしてない。

 まだ芸がヘッポコなうちからベテランに交ざって、バカにされたり笑い者になっても苦にすることなく、平常心で頑張っていれば才能や素質などいらない。芸の道を踏み外すことも無く、我流にもならず、時を経て、上手いのか知らないが要領だけよく、訓練をナメている者を超えて達人になるだろう。人間性も向上し、努力が報われ、無双のマイスターの称号が与えられるまでに至るわけだ。

 人間国宝も、最初は下手クソだとなじられ、ボロクソなまでに屈辱を味わった。しかし、その人が芸の教えを正しく学び、尊重し、自分勝手にならなかったからこそ、重要無形文化財として称えられ、万人の師匠となった。どんな世界も同じである。

原文

 (のうをつかんとする人、「よくせざらんほどは、なまじひに人に(られじ。うちうちよく習ひ(て、さし(でたらんこそ、いと心にくからめ」と常に言ふめれど、かく言ふ人、一芸も(なら(ることなし。

 (いま堅固(けんごかたほなるより、上手の(なか(まじりて、(そしり笑はるゝにも恥ぢず、つれなく過ぎて(たしなむ人、天性(てんせい、そ(こつなけれども、道になづまず、濫りにせずして、年を送れば、堪能(かんのう(たしなまざるよりは、(つひに上手の位に至り、徳たけ、人に許されて、(ならびなき名を(る事なり。

 天下(てんがのものの上手といへども、始めは、不堪(ふかんの聞えもあり、無下の瑕瑾(かきんもありき。されども、その人、道の(おきて(ただしく、これを重くして、放埒(はうらつせざれば、世の博士(はかせにて、万人(ばんにんの師となる事、諸道(かはるべからず。

注釈

 不堪(ふかんの聞え

  下手くそだという悪い噂。

 無下の瑕瑾(かきん

  ひどすぎる屈辱。

徒然草 第百四十九段

現代語訳

 精力剤のロクジョウを鼻に当てて匂いを嗅いではいけない。巣喰った小虫が鼻から入り、脳味噌を食べると言われている。

原文

 鹿茸(ろくじようを鼻に当てて(ぐべからず。小さき虫ありて、鼻より(りて、脳を(むと言へり。

注釈

 鹿茸(ろくじよう

  角化していない鹿の角を乾燥した薬。鎮痛剤、滋養強壮剤として用いる。

徒然草 第百四十八段

現代語訳

 四十過ぎて性懲りもなく身体に灸を据えた後、足の裏を焼かないと、逆上せることがある。必ず足の裏の決まった場所を焼くことだ。

原文

 四十以後の人、身に(きうを加へて、三里を焼かざれば、上気(じやうきの事あり。必ず灸すべし。

注釈

 三里

  灸を据える時の決まった身体の場所。灸穴。

徒然草 第百四十七段

現代語訳

 「灸の痕が体中にあるのは穢らわしいので、神に仕える行事を遠慮しなくてはならない」という説は、この頃、誰かが言い出したことである。『いざという時の冠婚葬祭辞典』にも書いてない。

原文

 灸治(きうぢ、あまた所に成りぬれば、神事(しんじ(けがれありといふ事、近く、人の言ひ(だせるなり。格式(きやくしき(などにも見えずとぞ。

注釈

 格式(きやくしき

  律令をただし、その施行を円滑にするために作られた法律のこと。

徒然草 第百四十六段

現代語訳

 明雲住職が、人相見に向かって、「私は、もしかして武器関係の災難と関わりがあるだろうか?」と訊ねた。人相見は、「おっしゃるとおり、その相が出ています」と答えた。「どんな相が出ているのだ」と問いつめると、「戦争で怪我の恐れがない身分でありますのに、たとえ妄想でもそのような心配をして訊ねるのですから、これはもう危険な証拠です」と答えた。

 やはり、明雲住職は矢に当たって死んだ。

原文

 明雲(めいうん座主(ざす相者(さうじやにあひ給ひて、「(おのれ、もし兵杖(ひやうぢやうの難やある」と尋ね給ひければ、相人(さうにん、「まことに、その(さうおはします」と申す。「如何(いかなる相ぞ」と(たづね給ひければ、「傷害(しやうがい(おそれおはしますまじき御身にて、仮にも、かく思し寄りて、尋ね給ふ、これ、(すでに、その(あやぶみの(きざしなり」と申しけり。

 果して、矢に当りて(せ給ひにけり。

注釈

 明雲(めいうん座主(ざす

  「座主」は優れた僧侶で、延暦寺、金剛寺、醍醐寺などの大寺の住職。「明雲」は、久我大納言顕道の次男。一一八三年の法住寺合戦の際に流れ矢に当たって死ぬ。

徒然草 第百四十五段

現代語訳

 秦重躬は、上皇のセキュリティ・ポリスだった。御所の警備員、下野入道信願に「落馬の相が出ています。充分に用心なさい」と言った。信願は、「どうせ当たりもしない占いだろう」と内心バカにしていたら、本当に馬から落ちて死んでしまった。人々は、この道何十年の専門家が言うことは神懸かっていると感心した。

 そこで、「どんな相が出ていたのですか?」と誰かが聞いた。「安定感のない桃尻のくせに、跳ね癖のある馬が好きでした。それで落馬の相を見つけたのです。何か間違っているでしょうか」と言ったそうだ。

原文

 御随身(みずいじん秦重躬(はだのしげみ北面(ほくめん下野入道(しもつけのにふだう信願(しんぐわんを、「落馬(らくば(さうある人なり。よくよく(つつしみ給へ」と言ひけるを、いと真しからず思ひけるに、信願、馬より落ちて死ににけり。道に長じぬる一言(ひとこと、神の如しと人思へり。

 さて、「如何(いかなる相ぞ」と人の問ひければ、「(きはめて桃尻(ももじりにして、沛艾(はいがいの馬を好みしかば、この相を(おほ(はべりき。何時かは申し誤りたる」とぞ言ひける。

注釈

 御随身(みずいじん秦重躬(はだのしげみ

  公家が外出時にお供した警備員の秦重躬。「御」とあるのは後宇多上皇の警備員。『実躬卿記』や『継塵記抄』の文献に活躍が知られる。

 北面(ほくめん

  北面の武士で、上皇の御所を警備する。

 下野入道(しもつけのにふだう信願(しんぐわん

  伝未詳。

徒然草 第百四十四段

現代語訳

 明恵上人が散歩をしていると、小川で男が「(あし(あし」と言って、馬の脚を洗おうとしていた。上人は立ち止まり、「有り難や。現世に降臨した神様でしょうか? 阿字(あじ阿字(あじと宇宙を創造する言葉を唱えておられます。どのような方のお馬様かお尋ねします。この上なく神聖なことでございます」と言った。男は、「フショウ殿の馬ですよ」と答えた。「なんて嬉しいことでしょう。阿字本不生(あじほんふしょう。つまり宇宙は永遠に不滅です。未来への悟りが見えてきました」と言って、感動で流れる涙を拭ったそうだ。

原文

 栂尾(とがのを上人(しやうにん、道を過ぎ給ひけるに、河にて馬洗ふ男、「あしあし」と言ひければ、栂尾(とがのを上人(しやうにん立ち止りて、「あな尊や。宿執開発(しゆくしふかいほつの人かな。阿字(あじ阿字(あじ(となふるぞや。如何なる人の御馬(おんうまぞ。余りに(たふと(おぼゆるは」と尋ね給ひければ、「府生殿(ふしやうどのの御馬に(さうらふ」と答へけり。「こはめでたき事かな。阿字(あじ本不生(ほんふしやうにこそあンなれ。うれしき結縁(けちえんをもしつるかな」とて、感涙(かんるい(のごはれけるとぞ。

注釈

 栂尾(とがのを上人(しやうにん

  京都市右京区梅ヶ畑高尾町にある栂尾山に高山寺を造った明恵上人。

 宿執開発(しゆくしふかいほつ

  前世の功徳が現世で花開いた人。

 阿字(あじ

  梵字の十に母音の初めの文字。この字が元になって全ての梵字が始まることから、森羅万象の源と考えられる。

 府生殿(ふしやうどの

  皇居の警備を司った役人の総称。

 阿字(あじ本不生(ほんふしやう

  「阿字」つまり「阿」は宇宙の根源とすると、他の物からの原因で現れた物ではなく、宇宙は不滅であるという理屈。

 結縁(けちえん

  仏道修行に縁を見つけ、未来の悟りに縁を見つけること。